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故障から3年ぶりに野球復帰した三好丈己選手

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第31回全日本クラブ選手権大会兵庫県予選が、
昨日の雨で順延となり、今日、明石市にある
三菱重工業二見球場で行われた。
関西メディカルスポーツ学院硬式野球部の初の公式戦である。
1回戦は9時試合開始。阪神ベースボールクラブと対戦し、
10対4で公式戦初勝利。昨年秋、左肩を痛めてプロ球団から
戦力外通告を受け、リハビリトレーニングとサイドスローから
オーバースローにフォーム改造した栗田雄介投手が投げる。
球速はまだMAX135キロだが、5失点ながら完投できたことが大きい。 
打線は栗城の本塁打、三好の二塁打2本、星、新部の二塁打などで、
13安打。10得点を奪い初戦突破ができた。
14名の選手のほとんどが故障の経験があり、
ブランクのある選手も少なくない。野球部を結成して約1ヶ月半なので、
この試合が2試合目。本当にみんなよく頑張ったと思う。

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2回戦は同日の13時30分試合開始で、関西爽球会と対戦し、
7対8で惜しくも敗退した。

先発した山本が初回に3点を取られる苦しいスタート。
相手ピッチャーの変化球にタイミングが合わず、なかなか点が取れない状況が続く。
ようやく5回表に1点を返した後、3回から登板した中継ぎの河野の
5回裏に投げた直球が少し甘く入り、3ランを浴びてしまった。
6回表にようやくタイミングが合い出し、打線もつながって4点取り返し1点差まで追い上げる。
しかし、6回から登板した石井が7回裏に2点取られ、再び3点差となる。
9回表に2点取り返し、一打同点の場面まで粘るが、惜しくも決定戦には進出できなかった。
打線は大島、南、星、古川の二塁打を含む9安打。

投手の河野と石井は入部して初めての登板。河野は高校時代4回くらいしか
登板経験のない投手。石井は高三の夏の大会以来、約10ヶ月ぶりの登板で、
二人ともかなり緊張したようだ。野手も初めてのダブルヘッターの経験。
まだ体力づくりのレベルで、肩、ヒジ、腰、膝、足などに不安を抱えながらの
1日2試合は本当にきつかったと思う。
障害の再発防止をコンディショニングとテーピング、
私が機能設計したコンディショニングウエアCW-Xプロモデルの着用でなんとか防いだ。

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そんな故障の経験をもつ選手の一人、三好丈文選手は愛媛県の川之江高校卒。
高三のとき4番でキャプテンを務め、チームは甲子園ベスト4、国体優勝し、
オールジャパンにも選ばれたすばらしいセンスをもった選手だ。

三好と出会ったのは2002年、夏の甲子園大会に川之江高校が出場したときだ。
その時、川之江高校野球部のコーチを務めていた石原俊樹君は、育英高校出身で、
高校生のときに藤本選手たちとともに野球塾(現、ベースボール・ジム)に通っていた。
石原君は亜細亜大学に進学し、卒業後は川之江高校の非常勤講師をしながら
野球部のコーチをする機会を与えられたそうだ。
現在は中京高校で常勤講師をしながら野球部の指導に携わっていると聞いている。

その彼の紹介で川之江高校の選手たちが、コンディショニングに訪れて来たのが
きっかけである。三好は大学入学直後、スライディングで右手首の靭帯を損傷。
手術を受け、リハビリを取り組んでいたが、一向に回復が見られず、
握力も10キロくらいで日常生活にもかなりの支障が出ていたのである。
野球を諦めかけていたときに、私を訪ねてきた。

私の一回の調整で握力が30キロまで戻り、
本人の野球に対して閉ざしかけていた心に希望の光が再び見えのだろう。
三好は大学中退を決意し、ベースボール・ジムで本格的にリハビリトレーニングに
取り組みながら、夜間は野球トレーナー科で一年間勉強を続け、
半年後の2006年春、野球選手科に入学した。

今日の試合では、3番セカンドで出場、2試合で6打数、4安打、2打点で攻守に活躍した。
まだまだ彼の本領は発揮されていないが、毎日少しずつ進化している。
愛媛からご両親とお祖父さんが応援に来られた。
ユニホームを着ていきいきとプレーする彼を観たご両親は
「息子の野球姿を久しぶりに観ることができ、嬉しいです。ありがとうございました」と
挨拶された。本当に復活できて良かった!

投稿者 kanrisya|2006年05月14日 16:48 |トラックバック (0)| 日記投稿数 721|

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