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スポーツ新聞記者の山本君

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今日は、沖縄の恩納村にある赤間球場で行われた
練習試合を観に行く。
夕方、私がパーソナルトレーナーとして関わっている
プロ野球選手のコンディショニングと
インバランストレーニングを指導する。
その後、キャンプの取材に来ていた
スポーツ新聞記者をしている山本浩之君も合流して、
一緒に食事をした。

山本君との出会いは10年前、彼が中学3年生の時だ。
当時、彼は報徳学園高校に進学が決まり、硬式野球部に入部して
甲子園出場を最大の目標にしていた。
しかし、中学でバレーボール部だった彼は、
同級生のレベルの高さに愕然としたという。
勿論、100人近くいる部員のなかで、高校から野球を始めるのは彼一人。
当時は両親や友人からも「中学で野球をしていないものが、報徳の
硬式野球部に入部するのは無謀。甲子園出場なんか絶対に無理」と
言われ続けたらしい。

彼はブランクを埋めようと、藁にもすがる思いで私が主宰する野球塾
(現、ベースボール・ジム)の門を叩いてきた。
「最初、西宮の学院へ行くと、一人の女性から
ケガしてないなら私の前で素振りしてみてと言われて、
はぁ?何で受付のおばちゃんにスイング見せないと
いかんのやと思いながらバットを振りましたよ。
でも、その謎の女性が摩季先生だったんですよね。
でも、摩季先生だけが大丈夫と言ってくれたんです」と話す。

私は、「いろいろと野球の技術を教えてあげるから大丈夫。
一年生の間はみんなボール拾いだし、普通は2年生の秋ぐらいから
使ってもらうのだから、まだ1年半以上あるじゃない。
その間に頑張ればパフォーマンスも上がるから間に合うわよ。
君はバレーボールで俊敏さは養われていると思うし、
守備でもそれは活きるから」と励ました。
最初は半信半疑だったようだが、彼は私を信じてトレーニングに専念した。
私から技術指導を受けるときの彼の目は、いつも輝いていて嬉しそうだった。
彼の野球に対する情熱は誰にも負けないと感じた。

あの頃は育英高校の選手たちも来ていて深夜まで一緒にトレーニングしたり、
夜食を食べながら練習での悩みを仲間に聞いてもらったりして、
疲れてヘトヘトになりながらも、それが活力源になって頑張れたという。
今、プロで活躍している選手もそのなかにいた。

そして、努力の甲斐あって、3年生のときに夢だった甲子園出場を果たした。
山本君は、野球で大阪体育大学に進学し、
野球部では監督さんや部員たちから信頼され、主務を務めた。

そうした彼の人間性と生き方が高く評価をされたのだろう。
卒業後は、スポーツ新聞社に入社でき、甲子園に本拠地を置く
プロ球団の担当記者として活躍している。今年で4年目。
チームの遠征に帯同して、全国各地を飛び回る生活で大変だと思うが、
明るい彼は感謝の気持ちをいつも忘れない。

「2度のリーグ優勝にも記者として関われて本当に幸せです。
僕は野球を通じて数々のことを学びました。そして、道も開けました。
誰もが憧れるプロの世界で活躍できる選手は極わずか。
しかし、職種は違っても一つのことを極めれば、プロになれる。
答えを出すのは自分自身ですね。
すべては、『野球』に出会えたことがよかったのかもしれない。
もし、高校時代に野球を断念していれば、今の自分はなかったですね」
と話してくれた。

投稿者 kanrisya|2006年02月13日 13:53 |トラックバック (0)| 日記投稿数 721|

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